教育コラム 2015.1

時を超えた出会い

 マルティン・ハイデガーというドイツの哲学者の思想を研究し始めて、10年くらいになります。彼はいろいろと批判されていますが、信奉者もたくさんいて、毎年、何冊か研究書が出版されています。私も、長期の休暇には山荘にこもり、彼の著作を読むことを愉しみにしています。

 私の理解しているところでは、彼はキリスト教神学に基礎づけられた哲学者です。彼の思想は、「存在論」とか、「形而上学」とか、呼ばれていますが、彼は、ようするに、この世界で当然・自明と考えられている価値――たとえば、学力、能力、利益、有用、権力、権威など――を相対化する叡智を「存在」に見いだし、なんとか語ろうとしています。

 このハイデガーと交流があったのが、哲学者の田辺元です。田辺は、1919年に京都帝国大学の先生になり、定年までそこにいました。田辺は、あの西田幾多郎の後継者として有名ですが、西田とは、かなり違う思想を展開しています。そのきっかけは、おそらくハイデガーとの出会いではなかったか、と思います。田辺は、1922年から24年にかけてヨーロッパに留学しました。そのとき、ハイデガーの「存在論」という講義にも出席し、詳細なノートを取っています。その講義ノートは、群馬大学の「田辺元文庫」に収められています。

 どうして群馬大学に、と不思議に思い、調べてみると、田辺は、1962年に群馬大学病院で亡くなっていました。1945年、京大を定年退官し、すぐに群馬県長野原町に移住し、1961年に群馬大学病院に入院するまで、そこで暮らしていました。そこでは、「存在論」の講義が何度か行われたそうです。移住後、群馬大学と何らかのかかわりがあったのかもしれません。田辺の別荘は、現在、群馬大学研修所となっています。蔵書ごと、群馬大学に寄贈されたそうです。そして驚いたことに、その場所は、私の山荘のすぐ近くでした。

 50年あまりのちに、同じ思想家に取り憑かれた者が、ほとんど同じ場所で、同じ思想家について想いをめぐらせています。今年の夏は、あの山荘で、田辺の「存在論」講義のノートをじっくり読みたいと思います。

教育顧問 田中智志
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