教育コラム 2018.05

内なる自己

 日本の学校では、5月は、新年度が始まって、ようやく教室も落ち着いたころですが、ヨーロッパやアメリカの学校では、5月は、卒業式のシーズンです。式典をしないところも多いようですが、日本の学校のように、式典をするところもあります。  もっとも、日本の学校とちがい、校長先生のスピーチ――graduation addressといいます――だけ、という学校のほうが多いんじゃないでしょうか。

 私の知るかぎり、そうした卒業式の校長先生のスピーチの多くは、「成功の秘訣」です。英語では、the key to success とか、a fomula for success とかいわれます。
 しかし、この五月に行われたあるアメリカン・スクールの校長の話は、the key to failure つまり「失敗の原因」でした。それは、「みんなを喜ばせようとすること」です。私なりに理解すれば、本当に自分がするべきことは、自分の心の奥底に住まう「内なる自己」が、声にならない声で教えてくれますが、みんなを喜ばせようとすると、自分の心の奥底から聞こえてくるその声を無視することになるから、となります。
 その話のなかで、校長先生は、アウグスティヌスの名前を挙げながら、だれもしてなくても、正しいことは正しく、みんながしていても、間違っていることは間違っている、とも述べていました。アウグスティヌスは、まさに「内なる自己」を語った、4世紀ころの哲学者です。

   自分の心の奥底から聞こえる「内なる自己」の声は、人を活動的にします。その声に聴き従おうとするとき、人は、為すべきことを為そうと真摯に生きるようになります。それは、けっして神秘的なことではなく、人生の転機を迎えた人が、しばしば経験してきたことです。
 その対極にある生き方が、批評家ふうの生き方です。有名な人や高い能力をもった人が、どんなふうに失敗したのか、あれこれ論じてみたり、高い成果を挙げた人についても、こうすればもっとうまくできたはず、と分析してみせたりすることです。
 そうした生き方は、一見、賢明そうに見えますが、心が躍るような歓喜とは無縁です。歓喜は、実際に為すべきことを為そうと苦しみ、闘うなかにのみ、あると思います。失敗し悔しくてたまらない思いののちに。そうした生き方には、かりに勝利がなくても、深い歓びがあります。そもそも、本当の歓びは、勝ち負けなどとは無関係ではないでしょうか。

教育顧問 田中智志
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