教育コラム 2018.06

心のなかに文脈を創りだす

 長年、大学でピアノを教えてきたある先生は、ピアノが上達する秘訣について、こんなふうに話していました。「まねがうまいことが、大事です」と。つまり、うまいピアノ演奏を聴いて、それをすぐにまねできることが、ピアノがうまくなる秘訣です、と。
 思い出されるのは、昔の大工さんが、「自分の技を盗む」ことを弟子たちに求めていたことです。あれこれと教えられなくても、親方の技が盗める弟子は、まねがうまい人でしょう。そうしたまねのうまい人は、「センスがある」と呼ばれてきました。

 しかし、私は「まねが下手な人は、どうすればいいんだろう」と思ってしまいます。音楽の世界でも、職人の世界でも、生来の能力(センス)は大事にされているので、その多寡を知ることは大事でしょう。しかし、小学校教育のような、一般の知識教育を考えれば、センスの違いだけに注目するだけでは、話半分で終わっているように思います。
 話すべき後半部分は、まねの下手な子どもに、うまくまねる方法を教えることです。しかし、これはとても難しいことです。そもそも、まねのうまい人自身が、どうしてうまくまねできたのか、人にまったく説明できないのですから。
 このうまくまねる方法を見つけることは、一〇〇年くらい前に、アメリカの哲学者デューイ(Dewey, John)が「学び方を学ぶ」(learning to learn)という表現したことと似ていますが、デューイも、どうすれば、学び方をうまく学べるのか、教えてくれません。

 すこしだけ考えてみましょう。たとえば、漢字をただ書き写しても覚えられませんし、計算をただ繰りかえしても計算は早くなりません。本をただ読んでも読解力は高まりません。
 思うに、ふつうの記憶力や理解力をもつ人は、よりはっきりと記憶しより深く理解するために、対象がやどる文脈を構成することに慣れ親しむことが必要ではないでしょうか。どんなことも、文脈のなかに位置づけられているからです。たとえば、映画の場面は、映画全体のなかにあります。音楽の音は、楽曲全体のなかにあります。教科書に書かれてある言葉も定理も、何らかの全体のなかにあります。
 そうした全体、つまり文脈を心のなかに思い浮かべることに習熟することが、まず大切ではないでしょうか。

教育顧問 田中智志
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