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子どもの事実に立つ教育―内から育つ―
東京学芸大学
平野 朝久
 
 「自分が若い頃は、子どもを一生懸命教育して育てていこうとしたが、ずっとそういうことを30年間やってきて、今思うのは、子どもは自分で自分を創っていくものだということです。」 以前、ある小学校の先生が、しみじみと話してくださったこの言葉が心に残り、折に触れて思い出される。この言葉の中に教育のあり方を考えていく時の一番基本になることが示されていると思う。

 すなわち、教育のあり方を考える時に、子どもの成長は子ども自らが創りだしていくものであり、そういう力を子どもが持っているという前提に立たなければならないということである。

 教育のあり方、特に学校教育のあり方で問題にされることのほとんどが、子どもに何を身につけさせるかについてである。あるいは子どもはどうすべきかについてである。そこには、子どもの中にどのような世界があり、子どもにいかなる力があり、子どもが何を願い、求めているのかということについての認識が欠落している。大人は誰もがかつては子どもであったのに、その時のことをすっかり忘れているようでもある。

 従来から、教師に限らず大人は、子どもを見ると、まず、その子どもがどうすべきか、あるいはその子どもに何を教えるかを考えようとしてきた。それどころか、実際に子どもに出会い、その子どもがどのような子どもであるかがわかる以前から、目標や内容はもちろんのこと、学習する場所や時間、教材等々、ことごとくあらかじめ決めてしまい、子どもはそれらに合わせなければならないのである。子どもがせっかく持っている力も、それが生かされるどころか、無視され、大人の求めるあるべき姿に少しでも早く到達するように強いられるのである。

 しかし、子どもあっての教育であり、学習の主体者が子どもであるということは、言うまでもない。何かを実現するために子どもが存在するのではない。まず、固有名詞を持った一人ひとりの子どもが存在し、その子のために、そしてその子がその子として伸びていけるように教育が行われるのである。

 子どもを目の前にしている教師であればこそ、一人ひとりの子どもの事実を大事にして、そこから教育のあり方を考えるようにしたい。「ひと」や「もの」を慈しむ心、豊かな感性、既成の観念にとらわれない豊かな発想、旺盛な学ぶ意欲を持ち、伸びようとする力・・・こうした事実が見えてきた時、教育のあり方はこれまでとはずいぶん異なったものになる。

 子どもにとって大事なことだと思えばこそ、教えたくもなり、指示してすぐにやらせたくもなるのであろう。しかし、それが本当にその子どもにとって大事なことであり、しかも今が良いのかというような吟味もさることながら、もっと子どもが本来持っている力を信じることができないものであろうか。これまで子どもが本来能動的な学習者であるという前提に立ってカリキュラムを作り、授業を行い、またそのことを実践によって実証して生きたいくつかの学校では、子どもたちがその持てる力を自ずと発揮して、着実にそして豊かに育ってきた。

 最後に附言するならば、子どもに対して、将来の準備としての知識や技能を身につけることが強調されすぎているように思う。子どもの今は、将来のために犠牲にされたり、将来のための手段や過渡的な時期としての価値しかないのではない、今のこの生を一人の人間として充実して、深く丁寧に生きることが大切である。そしてそうすることが、将来の準備にもなるのである。
 
 
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