総合トップ | ENGLISH | CHINESE | ケータイサイト | お問い合わせ
 
私立大学付属中高大・一貫教育から見た初等教育への期待
―21世紀の初等教育プログラム:グローバル化する世界を生きる力―
慶應義塾大学
井下 理
 
 2003年より大学併設の付属中高・男女共学の一環校の教育現場にいる。今年で4年目になる。小学校を卒業したばかりの中学生を受け入れる一方で、高等部から大学学部へ卒業生を送り出す立場から、初等教育への期待を今回のテーマである「21世紀の初等教育プログラム―グローバル化する世界を生きる力」という点に焦点を当てて述べてみたい。

 小学校の6年間、中高の6年間、そして大学学部入学後、大学院修士課程までの6年間の3つの6年間を比較してみよう。
 大学のために高校があり、高校のために中学があり、中学のために小学校の教育がある、という発想があるが、それぞれの発達段階での教育は、それぞれ独自の固有の課題や目的・目標があるはず。次の段階のための準備を前の段階でしているという 発想は、一面では理解しやすく、次の段階のための準備をするという発想もあってよいが、しかし、それぞれに特有の、その時期でないとできないことがあると思う。

 あるいは言い方を変えると、それぞれの段階で充分その時期にあった教育がなされることにより、後になって同じことを学ぼうとするとなかなか学習の速度や効率が下がり、学習が困難になることも起こる。年齢の低い段階での教育のほうが、高等教育段階よりも成長や変化の大きな時期にあたり、生徒に及ぼす影響や教育効果という点ではとても大きなものがある。とりわけ情緒安定性や他者へのおもいやり、共感性などは頭でいくら理屈でわかっていても論理を超えて直接体感できていないと体得しにくいものである。それは大学では遅く、高校ではそれより少しまだ可能性があるが、中学や小学校の場合、学習する力はもっとあるように思える。理屈を超えて感覚的に習得する力、感知感得する力は、年齢の低い時期のほうが、砂場が水を吸い込むように吸収がよいのではないか。人を信頼する力とか、観念で異質なものを差別せずに虚心坦懐に物事を眺める力などは特定の社会や時代、文化的枠組みが未習得な段階のほうがより効果的に学習できるであろう。

 大学では、一般教養も含めて知力の学習が主眼となる。人格形成や社会性の涵養などは、大学学部および大学院ではあまり関心を注がれない。対照的に小学校では知力の教育もさることながらまずは通学し授業を受ける習慣の形成など、基礎的なことが習得されるよう教育の重点が異なる。知育の発達と徳育、体育の教育は、それぞれの時期に応じて適切かつ時期の面で遅滞なく学習され習得されることが期待される。

テーマのサブタイトルにある「グローバル化する世界を生きる力」という表現を聞くとすぐに連想されやすいのが、外国語の習得であろう。しかし、初等教育プログラムに、日本でいえば英語教育が必要かというような課題があがりそうだ。言葉の習得は、この語も重要事項であることは21世紀も同様であろう。

 ただ、第1言語の習得がおよそ終わらない早期に、第2言語の学習を開始させることの是非は今後検討が必要ではないか。どの言語で各自の意思や感情を表現するかは大事な問題である。しかし、どの言語であろうとまずは一つの言語をきちんと一定程度まで習得することは、思考力の育成という観点からも重要なことであろう。英語学習を通じて英語文化に接することも重要かもしれないが、まずは日本における言語習得、文化学習は、まずは日本語・日本文化の習得ではないだろうか。日本語も外国語も同時進行で、どちらも不十分な学習成果しかあげられないとすると、教える側の責任は大きい。

 それぞれの発達段階で、きちんと学ぶべき点をしっかりと学び、それぞれに充実した経験を蓄積していくことが重要であろうとおもわれる。 社会性や情緒安定性、失敗を恐れずに果敢に挑戦する前向きな姿勢や、異質なものに出会ってもそれを排除したりそれから逃走するのではなく、異質なものに対しても感心を示し、そこから学べる力や、ともに何かを協力していける許容性と異質なものへの寛容性、さらに、内側の楽しさによって動機づけられた経験の豊かさを育てるような、初等教育プログラムに期待したい。
 
 
| サイトご利用にあたって | プライバシーポリシー | サイトマップ | アクセスマップ | キャンパスマップ |