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高等教育から見た初等教育の課題
京都大学
田中 毎実
 
 今日では、中等教育を終えた人たちの5割以上が、高等教育に進学します。その結果、大学に入っても勉強の仕方の分からない学生たち、そもそも勉強などしたくない学生たちが、増えています。ところが、困ったことに、さまざまな科学技術が急速に発展し、産業構造が高度になり、生活の全体がグローバル化するにつれて、高等教育への期待もどんどん膨らみ、高度になります。高等教育は、<どうすれば学習意欲のない学生に、高度な内容を教えることができるのか>という難問に直面しているのです。

  この難問を解くうえで有効なのは、藤沢令夫の「プロト・ディシプリン」という考えです。専門的な学問(ディシプリン)が急速に発展するなかで高度な専門知を教えようとする教師は、まず、自分たち自身の知的キャリアの初心に立ち返って―これが「プロト・ディシプリン」の意味です―。学生たちと一緒に、<そもそも専門知は、自分たちが生きることにとって、どんな意味があるのか>について考える必要があるというのです。これは、大学における本来の教養教育です。学生たちへの高度な専門教育は、このような教養教育によってこそ、しっかりと支えられます。そればかりではありません。こうして初心へ立ち返ることによってこそ、教師たち地震が、自分たちの研究に向かう新たな力を活性化できます。プロト・ディシプリンとは、教師と学生とのこのような共同作業です。

  高等教育に携わる私たちが初等教育に望むのは、<こどもたちに「学ぶ構え」をしっかりと身につけさせて欲しい>ということです。学ぶ構えは、力への強い意思にささえられますし、力への意志は、自分の存在価値への信頼、そして自分を取り巻く世界への信頼によって支えられます。おとながこどもにやってあげられる一番大切なことは、このような意志や信頼を身につけさせるために、なによりもまず、彼らの存在を肯定してあげることです。もちろん、初等教育は学校教育ですから、ここでこどもたちに<直接に>このような存在肯定を与えることはできません。こどもの存在肯定は、何か具体的な知識や技術を教え学ばせることによってのみ、いわば「間接的に」可能なのです。これは、けっしてたやすい仕事ではありません。たとえば、ふりかえって親としての私 自身が、娘たちにこのような肯定を与えることができているのか。そう考えると、忸怩たるものがありますから。

  それにしても、こどもに存在肯定、信頼、力への意志などを与えるためには、教師を含めたおとなたちには、何が求められるのでしょうか。求められるのは、さまつな手練手管などではありません。それはおそらく、ほかならぬ大人たち 自身が、このような存在肯定、信頼、力への意志をもつことです。もちろん、こんな力を十分にそなえている人などどこにもいません。しかし、あきらめる必要はありません。おとなは、こどもへこのような力をもたせようとして失敗したり成功したりしながら、自分たち自身、これらの力をしっかりしたものにすることができるはずですから。

  初等教育段階までのこのようなおとなとこどもとの共同作業は、高等教育では、プロト・ディシプリンをめぐる教員と学生との共同作業に形を変えるでしょう。
 
 
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