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学びの共同体へ――佐藤学先生の講演を聴いて
 
 1970年代あたりから、世界的な規模で、教室が変化しています。黒板と教卓が前方にあり、机と椅子が整然と並べられ、教師が教科書を中心に黒板とチョークで一律に説明し、子どもがそれをノートに書き写すという、かつての一斉授業中心の教室風景は、過去のものになろうとしています。
 先進国では、教室から、黒板と教卓がなくなりはじめ、机と椅子は4、5人が向かい合えるテーブルに変わり、教科書は多彩な教材の一部となり、教師は権威者からファシリテーターへと変わってきています。佐藤先生のいう「共同的な学び」が広がっています。
 佐藤先生は、こうした一斉授業から「共同的な学び」へという教室の変化を「静かな革命」と形容されていました。だれが主導しているわけでもなく、静かに広範囲に広がっている変化だからです。このような変化は、21世紀を迎え、情報・人材・商品のグローバル化がますます進展していく現在、もはや押しとどめることができないでしょう。
 というのも、一斉授業という授業形態は、もともと工場生産中心の「産業主義社会」に成立したもので、効率性・一律性を第一に考えられたものだからです。グローバル化が進展するなか、多様性・創造性が重視される「ポスト産業主義社会」には、こうした授業形態はなじまないといっていいでしょう。

 「共同的な学び」は、子どもたちの学力を高めるうえでも、望ましい形態といえます。たとえば、2003年に行われた国際的な学力調査(PISA調査――OECDの学習到達度調査)において、最高の成績を収めて、世界から注目を集めたフィンランドは、こうした「共同的な学び」を大々的にとりいれてきました。
 また、IEA(国際教育到達度評価学会 )の国際学力調査で、最高の成績を収めたシンガポールも、数年前から国家政策として「共同的な学び」を実施してきました。
 これらのことから、高い学力水準を達成するうえで「共同的な学び」が大切であることがわかります。
 
  「共同的な学び」は、子ども自身の「活動」、子どもたち自身の「共同」を中心に展開していきます。それは、自分から高い目標に挑戦すること、たえず自分を高めようと意欲することであり、また子どもたち同士がおたがいに「わからないところ」を訊きあったり、いろいろな考え方を理解したりすることです。

 このような「共同的な学び」を行うさいには、対象・他者を謙虚に受け入れるという態度が必要です。知識であれ、技能であれ、また他の人の考え方であれ、生き方であれ、まずきちんと受けとめることで、はじめて自分の考え方・生き方をよりよいものにできるからです。佐藤先生は、このようなスタンスを「受動的能動」と表現されていました。
 こうした子どもたちの「活動」「共同」をもりたてる人が、教師です。子どもたちをみずから学ぶというスタイルに導き、訊きあうことを自然な営みと考えさせること、そして他の教師と連携しつつ、子どもたち一人ひとりのの理解を促進する多彩なコンテンツを用意すること、一人ひとりにそくしてつまづきの諸原因を把握することなど、「共同的な学び」にとって教師の役割は、けっして小さくありません。むしろ、一斉授業にくらべて大きくなっているといっていいでしょう。
 
 佐藤先生のお話の一端を、私見を交えつつ、ご紹介しました。佐藤先生のお話は、多岐にわたるもので、ここでは紹介しきれませんが、どのお話も、私たちを勇気づけ、日々の教育実践をさらに向上させる大きな励ましとなりました。
 
田中智志(校長)
 
 
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