教育コラム 2014.4

桜並木というシーニュ

 桜の花が咲くと、私たちは春の訪れを感じ、晴れやかな気分になります。

 日本には、桜並木があちこちにあります。道路沿いに、町なかの公園に、園庭や校庭の周りに、そして工場の敷地沿いにもあります。桜並木は、しばしば公共の場所、人びとが集まる場所と結びついています。これは、海外ではまず見られない景観です。

 多くの桜並木の幹はかなりの太さです。ずいぶん昔に植えられたのだと思います。先人たちは「自分たちの住み暮らすところをよりよく」という想いを込めて、桜の木を植えたのだと思います。その想いの根底には、みんなと共によりよく生きたいという願いがあると思います。

 子どものころ、鎮守の杜にあった広場で、毎年、春になると、地域主催のお花見が開かれていました。その半円形の広場には、何本もの桜の木が植えられていました。

 「もりさま」と呼ばれていたその杜の中心には、樹齢数百年、直径1メートルを超える幹の巨木がありました。社はなく、小さな祠がその巨木の根元に置かれていました。しかし、今では、共同体的な絆は緩み、「もりさま」の謂われは忘れ去られ、お花見の習慣も廃れてしまいました。

 今、お花見は、地域の習わししてではなく、たんなる春の行事として行われているようです。たしかに、桜の花は美しくも儚く、お花見は季節の贈りものを愛おしむ絶好の機会ですが、桜の木に込められていた先人の願いは、忘れられているように思います。

 桜の木がそこに住む人びとの願いとともあった時代、その願いをわざわざ言葉にする必要はなかったと思いますが、桜の木が人びとの願いから切り離されていく今、その意味はあらためて言葉にされるべきです。大げさに聞こえるかもしれませんが、日本では、桜の木は、共に生きることの本来性を暗示するシーニュ(徴し)だったと思います。ちなみに、こちらもまったく忘れられていますが、ポリティクス(政 治)の語源、古代ギリシア語のポリティコスは、アリストテレスによれば「本来的に共に生きる」という意味です。

教育顧問 田中智志
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