教育コラム 2014.5

レジリエンス・再考

 何年も前に、このコラムで、レジリエンスの大切さを書いたことがあります。先日、NHKの番組を見ていたら、この言葉が「逆境力」と訳されて、ストレスや叱責や失敗に挫けない「心の強さ」として紹介されていました。

 この言葉がアメリカの心理学者の発明で、ホロコーストのときに、あの苦しみに耐えた人の心の力を分析した結果、取り出された心理的要素である、と紹介されていました。それは、どこまでも自分を信じる強い心、どんな言葉にも揺るがない自己信頼の力です。

 アメリカの心理学者たちがいうレジリエンスは、人は所詮、一人なのだから、自分で自分を律して生きるべきだという個人主義と、この社会は競争社会で、競争に負けてくよくよしていたら、ますます敗者になるぞ、という強者の論理を前提にしているように思えます。

 しかし「神はどこにいるのか」と慨嘆せざるをえない苦境のなかで、ユダヤ人が見いだした希望は、アメリカの心理学者がいうような「強い心」でしょうか。自律し競争に勝ち抜くために、自分を鼓舞し叱咤する心でしょうか。違うと思います。

 家族や仲間が無残に殺されているのに、何もできないという絶望的な現実。そのなかで、生きることを断念しなかったのは、彼らに心理学者がいうような「強い心」があったからではなく、彼らがアガペーとしての愛を感じていたからです。それは、この絶望的な現実のなかにあっても、無条件に人を愛する力 が私にあると感じることです。

 「神はどこにいるのか?」。どこにもいないじゃないか、という嘆きに、あるユダヤ人が応えて言いました。「どこにいるかって? あそこにいるじゃないか。私たちと一緒に泣いているじゃないか」と。唯一最強の存在ではなく、共に泣く存在としての神。いかなる境遇にあろうとも、人のために泣き苦しむことができ ること、それがもっとも気高い営みです。

 個人主義・競争社会という現実を変えようとせず、そのなかで強く生きる便法をあれこれと考案し続けることと、もっとも弱い人を支え助けるためにこの社会の構造をよりよくしようと努力することは、まったく別のことです。

教育顧問 田中智志
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