教育コラム 2014.6

遊びではなく愛のなかで

 18世紀末のスイスで孤児院を営んでいたペスタロッチという人が、友人への手紙に次のように書いています。「私たちはともに泣き、ともに笑った。子どもたちは世界を忘れ、シュタンツを忘れ、ただ私とともにいて、私は子どもたちとともにいた。‥‥子どもたちが健康なときは、ともに笑いあい、病気のときは、そのそばを離れなかった。私はいつも、子どもたちのあいだで眠った。夜はもっとも遅く眠り、朝はもっとも早く起きた。私は子どもたちとともに祈り、子どもが眠り につくまで教えた」(『シュタンツだより』1799年)。

 ペスタロッチのこうした生活は、いわゆる「普通の生活」とはかなり違っています。普通の生活は、まず家族、地縁、血縁とつながる人とともに、あるいは会社や役所など利害、仕事でつながる人とともに、与えられた務めを果たすことです。「有意義な生活」と呼ばれる生活は、「やりがい」、役割を担う喜びをかならず含んでいます。

 普通の生活はまた、こうした役割遂行から解放された、たんなる活動を含んでいます。花の世話、写生、陶芸、釣り、プラモデル作りなど、ただそうしているだけの営み、何かのためではなくそれ自体のためにする営み、つまり、広い意味での遊びを含んでいます。

 「普通の生活」は、役に立つこと(有用)と役に立たないこと(無用)が織り交ぜられています。役に立つことばかりしていると、だんだん疲れてしまいます。役に立たないことばかりしていると、なんだかもの悲しくなります。普通の生活には、両方がほどほどに必要です。

 しかし、ペスタロッチの生活は、孤児たちを養育するという意味では、役に立つことですが、普通の意味での役に立つこととは違います。かといって、役に立たないこと、広義の「遊び」でもありません。彼の生活は、有用/無用という区別では語りがたい生活です。

 彼の生活を、教育学者たちは「素朴」「甘い」と形容してきましたが、それは有用/無用の区別に立って考えるから、そう思えてくるのです。彼の生活は、この区別におさまるどころか、この区別を可能にしている台座です。子どもたちが普通の生活を送れるようになるための、もっとも大切な礎です。彼は、自分の生活を彩り支えるものを端的に「愛」と呼んでいました。

教育顧問 田中智志
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