教育コラム 2014.9

異文化と固有性

 「あなたの個性は何ですか?」と問われれば、私たちは、たいてい、自分を振り返り、他の人とは違うところ、「私の特技」「私のキャラ」「私の趣味」などをあげます。友人に訊くと、しばしば、思いがけない自分の個性を発見できたりします。

 こうした個性は、「個体のなかに秘められた何か」ですが、海外での生活体験から、こうした捉え方を非難する人がいます。たとえば、「私の暮らしている〇〇〇では、他文化・他民族が前提だから、いちいち自分の中をのぞき込んで、個性を探したりしません。自分の個性は、自分の民族文化の個性です」と、誇らしく宣言します。

 「あなたたちは、一様の民族文化が広がる日本に閉じこもっているから、個性を自分のなかにあれこれ探し回るのです。私のように、もっと世界に出て行けば、今のありのまま自分が個性だとわかるはずです」と。

 このような考え方は、新しい考え方のように見えますが、じつは古くさく、しかも危険な考え方です。自分の共有する民族文化と自分の個性とを重ね合わせることに、何の危惧も抱いていないからです。それこそ、ナショナリズムという考え方の根本です。

 個性が、固有性(おのずからあるところ)であるのなら、それは、自分が体現している民族文化の特徴などではなく、私たち一人ひとりが与っている命の歩みです。一つひとつの命の歩みは、他の命と本来的に結び合って進むことであり、つねに唯一的です。端的にいえば、私は、他ならないあなたとともに生き、ともに高め合うからこそ、私という固有性なのです。

 たとえば、19歳のアーネスト・ヘミングウェイが経験したように、私の固有性を支える他者との出会いは、ときに哀しい結末を迎えることもありますが、それでも、そうした真の出会いは、人生を深いところで豊かにするはずです。「異文化体験」という表面上の違いに惑わされていると、人が人として感受すべき本当に大切なことを見失ってしまいます。

教育顧問 田中智志
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