教育コラム 2014.11

海は教育者

 フランスの哲学者にアラン(本名E-A.シャルチエ)という人がいます。彼は、1923年12月12日発行のある週刊新聞に「虐待の現場を見て、虐待されている人よりも苦しむなら、それはあきらかに偉大なことである」と書いています。「苦しむという能力は力強さの証しである」と。

 アランのいう「力強さ」は、学力や技能ではなく、よりよい生に向かう力、理想へのベクトルです。人は、自分が求める理想と現実とをくらべ、その違いが大きければ大きいほど、より深く苦しむ、とアランはいいます。いいかえれば、子どもの生育環境をもっとよくしたいと思わない人は、子どもの虐待について悩んだり苦しんだりしない、ということです。

 理想に向かう「力強さ」をもつ人は、現実の自然(環境)についても、やはり悩んだり苦しんだりします。その人は、自然についても何らかの理想を抱いているからです。信玄堤のような治水工事は、その結果です。しかしアランは、人は現実の自然についてあれこれ悩み苦しむまえに、自然についてよく学ぶべきだ、といいます。

 そして、人が学ぶべき自然は、陸地だけでなく、海でもあるといいます。アランは「海は教育者だった、森林や田畑よりもそうだった、と信じている」といいます。海は、大地よりも厳しく必然性を示し、人に自然との正しいかかわり方を教えてくれるからです。「海は必然性のままに広がっている。海水は、もっとも小さい石の縁も取り、その流動のなかで、石との均衡を創りだす。‥‥すべてがすべての作用を受ける。善も悪もない。ただそうなっている」。

 海という自然は、人為をはるかに超える無限の動態であり、人は、生きていくために、その知力のかぎりを尽くし、その動態に応え続けなければなりません。「海は、遠くまで見渡せるが、その流動は、岩石や泥土よりも、自然環境の動態を表現している。船は、より危険だが、鋤や鍬よりも、人間の能力を証明している。海においては、精神の杯を純粋な経験が満たす。それは健やかな飲みものである」。これは、環境教育の根本原理といっていいでしょう。

教育顧問 田中智志
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