教育コラム 2015.04

風立ちぬ

 2012年に公開された宮崎駿さんのアニメ映画『風立ちぬ』は、1938年に出版された堀辰雄の同名の小説に描かれたシーンが、一部ふくまれています。それは、軽井沢近郊と思われる高原で、主人公の「私」が、結核に冒されている婚約者に付き添い、愛する人の死を予感しながらも、「私」と婚約者が、最後までともに生き続けようとすることです。

 「風立ちぬ」という言葉は、ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」に出てくる言葉です。Le vent se lève, il faut tenter de vivre(風がおこる。生きようとしなければならない)。この詩句は「風は立ち、消え去る。そのように人は生き続けなければならない」といいかえられます。この風は、一つの命の喩です。一つの命は、生まれ来て、消え逝きます。人はそれに抗います。消え逝こうとする婚約者を、「私」は無理にでも引き留めようとします。生まれ来て、消え逝くというさだめにあるとしても、この世界で「私」とともに生きることを希みます。

 この風は、旧約聖書に出てくる「息吹」のことでしょう。ギリシア語で「プネウマ」です。こんなふうに書かれています。「人は[神の]息吹のようなものです。その日々は消滅する影のようなものです」(詩編 144. 4)。「一つの息吹にほかならないのです。がんばっているどんな人も。影にほかならないのです。歩み進む人も。一つの息吹にほかならないのです。彼が蓄えるすべての富も。‥‥一つの息吹にほかならないのです。すべての人は」(詩編 39. 6-7,12)。

 人の命とはなんと儚いことか、と思われるでしょうか。たしかに。どんなにがんばっても、人はせいぜい100年くらいしか生きられません。生存の時間の延長にこだわっているかぎり、人が生きている時間は、短いものです。しかし、大事なことは、時間の長さではなく、時の充溢です。「私」にとって婚約者とともにいる一瞬一瞬は、奇蹟の時にほかならないのです。自分たちが、生まれ来て、消え逝くという定めにあるとわかっているからこそ、その一瞬一瞬は、きらめく時なのです。そのきらめきは、ともに生きているからこそのきらめきです。

教育顧問 田中智志
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