教育コラム 2015.07

意味を超えた生を感じる

 空気と風は、どのような関係にあるのでしょうか。台風であれ、微風であれ、風は空気の動きですから、空気がなければ、風もありません。しかし、風の向き、強さなどをいくら詳しく解析してみても、それは、空気を知ることにはならないでしょう。

 この空気と風の関係は、私たちの生きることと生活の関係に似ています。私たちのふだんの生活は、さまざまな行為や出来事から成り立っています。そして、そうした行為や出来事は、いろいろな言葉で意味づけられています。これは「飽和現象」、これは「利潤追求」、これは「国際会議」、これは「夕食の後片付け」、これは‥‥。

 私たちは、私たちの生活を、科学的な知識や常識によって意味づけることによって、何らかの安心感(安定感)を抱いて生きています。私たちが、まったく知らないこと、わけのわからないことに直面すると、何とかしてそれを意味づけようとするのも、安心したいと思っているからでしょう。

 しかし、こうした意味づけによって、見過ごされてしまうことがあります。それが、私たちが生きていることそれ自体です。私たちが、自分の生活を科学的に、常識的に知れば知るほど、自分が生きているという事実から、遠ざかってしまいます。

 人は、なぜ生まれたのか。なぜ生きているのか。なぜ死ぬのか。こうした問いに答えることはできません。人の誕生も、生存も、死も、意味づけを超えています。昔から「人生の意味」をあれこれ語る人がいますが、人生は、本来、意味づけを超えた営みです。

 生活をどんなに詳しく意味づけても、それは、生きることを知ることにならないでしょう。生きることを知ることは、それを意味づけることではなく、他者、世界とのつながりを感じることではないでしょうか。人が人と、自然と情感的につながっていることを発見することではないでしょうか。

教育顧問 田中智志
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