教育コラム 2015.10

師弟という関係

 ある思想家が本を書くということは、その思想家が自分の思想をゼロから創りだすことではなく、だれかの思想から自分の思想を紡ぎだすことだろう、と思います。いわば、先行する思想が、新たな思想を呼び寄せ、引き継がれることではないだろうか、と。
 そのとき、その「だれか」は、思想家にとっての「師」といえます。「だれか」の思想に触発され、それをより深く理解しようとしつづけるうちに、こうも考えられるのではないか、と想像力をかき立てられたとき、その人は、その「だれか」の「弟子」になっていきます。

 ジョージ・スタイナーというユダヤ系の思想研究者が、2003年に『師の教え』(Lessons of the Masters)という本を書いています。2011年に『師弟のまじわり』という題で、邦訳書が出版されました。ソクラテス、ナザレのイエス、アウグスティヌス、ダンテ、ゲーテ、ニーチェ、アラン、フッサール、ハイデガーなど、多くの思想家が「師」として、弟子たちにとってどのような存在であったのか、如実に描かれています。
 スタイナーは、厳密に理想を追求する科学的・思想的な活動を特徴づけているのは、「仲間が選ばれ、弟子が選ばれ、[彼(女)らから]裏切られるという、決まりきったできごとである」といいます(原著 p. 122)。つまり「師」が絶対的であるなかで、「弟子」が、自分独自の思想を展開しようとすれば、「師」から逃げ出すか、「師」を裏切るしか、ないのだ、と。

 スタイナーの本は、師弟関係がはらんでいる感情的確執をよくとらえています。しかし、スタイナーが、この本で、本当に描きたかったことは、そうした確執ではなく、「師」が、その生身の存在を超えて、はるかな気高さに向かうベクトルそのものである、ということです。「師」の本質は、「師の師」「魂の魂」と呼ばれるような、超越性に向かう生そのものである、と。
 もしもそうであるなら、弟子もまた、未熟でありながら、「師」と同じように、超越性に向かう生そのものといえないでしょうか。ある人が、ある人の「弟子」になるということは、その人とよく似たベクトルをもっているからではないでしょうか。いわば、二つのベクトルが交感しあうことが、「師弟」となることではないでしょうか。
 「師弟関係」は、一般に能力形成を中心に語られていますが、本来のそれは、気高さへの想いが生みだす仲間関係ではないかと思います。

教育顧問 田中智志
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