教育コラム 2015.12

意図を超える〈ことば〉──アドベントに寄せて

 新しい学校に行くと、先生から「自己紹介をしてください」といわれます。新しく職場に入ると、上司から同じように「では、自己紹介を」といわれます。そして、「第一印象が大事」といわれるように、うまい「自己紹介」は、いい人間関係を作り出します。
 ところが、この「自己紹介」を嫌がる人がいます。私の古い友人の一人も、「自己紹介」を嫌っています。彼によると、自己紹介は「作りごとになるから」です。自分で自分を語ることは、どんなにまじめにやっても、「真実ではない自分を語ることになる」だそうです。

 真実の自分を語ることは、たしかに困難です。それは語るものではなく、ちょっとした会話のなかで感じられるものです。世間話のなかでであれ、学問的な話のなかであれ、冗談とも本気ともつかない言葉のやりとりのなかで、私たち自身の真実は、垣間見えます。実際に話される言葉の意味としてではなく、その言葉を話す私たちを彩っているこまやかな情感として。
 そのこまやかな情感は、それをきちんとした言葉にしようとすると、たちまち消え去ります。すべての言葉は、この情感に比べるなら、あまりに無骨です。それでも、私たちは、言葉を語り重ねつつ、まったく意図せずに、こまやかな情感をにじませます。その情感が人に伝わるとき、人は、その人と「一緒にいたい」と想うようになります。

 その伝わりは、いわゆる「可能性」ではない可能性です。「○○大学に合格する」「○○の仕事に就く」といった、強い意志をもてばもつほど、人は、特定の「可能性」に拘束されます。「きみの可能性は無限大だ」といったコピーが語る「可能性」が、それですが、人が醸しだす情感が伝わることは、こうした「可能性」ではなく、意図を超えた可能性です。
 どんなに入念に「自己紹介」しても、どんなに上手に「作り笑い」をしても、そうした作為は、人を人と本当の意味でつなぐことはありません。意図を超えて自然に伝わるこまやかな情感、それこそが、人を人と本当につなぎます。

 つきつめていえば、そのつながりは「愛」といえるかもしれません。はるか昔、そのつながりを「アガペー」という〈ことば〉で語った人がいました。今年も、その人の生誕の日が近づいています。

教育顧問 田中智志
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