教育コラム 2016.01

心の余裕

 「余裕をもって行動しましょう」といわれます。「約束の五分前には、着くように準備しましょう」と。また「心に余裕を持ちましょう」といわれます。「心に余裕があれば、相手よりも有利な立場にたてます」と。
 しかし、こうした「余裕」は、「余裕」といわれながらも、どこか切り詰められた感じがします。それが、何かの課題をうまく・速やかに達成・解決するための、手段としての「余裕」でしかないからでしょう。本当の「余裕」とは何でしょうか。

 私たちは、自分の仕事に没頭し専心します。「一心不乱」「一意専心」「一心一意」など、四文字熟語でも、仕事に全力で取り組むことは大事なことだ、と説かれています。
 しかし、没頭し専心すればするほど、見えなくなることもあります。一生懸命に勉強すればするほど、技能や技術を磨けば磨くほど、その行為を超えるものが、見えなくなることがあります。それは、「木を見て森を見ず」「鹿を追う者は山を見ず」といった状態です。

 ものごと(できごと)は、かならずそのものごとを超えるひろがりのなかにあります。そのひろがりを、哲学は「全体性」と呼んでいます。この全体性は、見えません。それは、徴しとしてすこしだけ示されるだけです。人の知性は、その徴しから、全体性を洞察します。
 たとえば、あなたの町に降る雪も雨も、惑星地球という全体性を暗示する徴しです。大気の循環、海流の変化など、理科や地学の知見を踏まえるとき、私たちは、そうした徴しから地球という全体性を洞察することができます。

 私たちの没頭・専心は、たしかに大切なことですが、本当の心の余裕を生みだすのは、こうした全体性の洞察ではないでしょうか。私たちが設定する課題は、私たちの、あるいは私たちの属する組織や社会の都合で設けられたものです。私たちは、そうした人為の課題を超えた、とてつもない複雑性をはらむ全体性のなかに生きています。
 自分の意図や思惑をはるかに上まわる全体性を想うときにこそ、人は課題に真摯にかかわりながら、その課題を超えることができます。それこそが、本当の「心の余裕」ではないでしょうか。

教育顧問 田中智志
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