教育コラム 2016.02

継続するという才能

 「才能」という言葉があります。一般に「天賦の才」「生得的な能力」を意味しています。たとえば、受験勉強に必須の「記憶力」も、音楽界で必須の「絶対音階」も、どちらも工夫・練習でなんとかなるとはいえ、およそ生得的な能力です。
そうした生得的な能力も、たしから才能だと思いますが、私は、何かを弛むことなく探究し続けること、つまり努力の継続も、才能であると思います。それは「好きこそものの上手なれ」ということわざと、いくらかかぶります。

 後者の努力の継続が向かうところは、二つあるように思います。一つは、技能の向上です。それは、算数や理科の問題をより精確により迅速に解く技能であり、また音楽の世界でいえば、精密機械のような精確さで楽譜どおりに楽器を演奏する技能です。
 もう一つは、自分にとってかけがえのないもの、大切なものを追求することです。それは、人を感動させることにつながります。どんなに精確な演奏を聴いても、心は動きません。「うまいなあ」という感想は、心の動きではなく、頭の働きです。

 大切なものの追求は、通俗性を超えています。人に勝ちたい、名声を得たいといった通俗性は、勝った/負けた、達した/諦めた、という結果で、その努力を終わらせます。しかし、大切なものへの想いは、世間的評価にかかわらず、終わりのない努力をもたらします。
 先日、ある音楽大学の学長と話をしているとき、その学長が「才能っていうのは死ぬまで練習できるということですよ」と言っていました。その学長も、毎朝欠かさず、学長室でクラリネットの練習をしているそうです。学長は「朝練ですよ」といい、にっこり。

 現代の受験学力をおもに構成しているのは、教科書の内容を隅から隅まで覚える記憶力や、情報を駆使し問題の解法を習得する目的合理性ですが、そうした能力だけでは、人の心を動かす力は生まれてこないのです。何か大切なものに向かう、「探究」という名の努力の継続こそが、人の心を動かす成果を生みだします。

教育顧問 田中智志
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