教育コラム 2016.10

無垢の力

 「いつまで続くのだろう」と思っていた夏の暑さが急に消えて、朝夕、肌寒く感じるようになりました。木々の葉も色づき始め、虫の数も減ってきました。
 夏から秋へ、秋から冬へ、そして冬から春へと、季節が変化することを、私たちは、経験的に知っています。そして、生き物が、こうした季節の変化に適応しながら生きていることも、知っています。人もむろん、生き物で、寒くなれば、厚着をし、暖房を入れます。

 よく、生命は自然環境に適応することで存続する、といわれますが、生命そのものは、自然の根本原理に抗いつづけているように見えます。その原理とは、かたちあるものが、かたちのないものに変わってゆくことです。たとえば、長い年月を要しますが、岩が砂になることであり、倒木が土に帰ることであり、捨てられた自転車が、ぼろぼろに朽ちてゆくことです。しかし、生命は、そうした原理に反し、みずからをかたちづくります。
 なるほど、生き物も、死んでゆきますが、いのちを生みだしもします。かたちを失いながらも、あらたにかたちを創りだしています。かたちを失うとたぶんわかっていながら、かたちを創りだし続けます。生命そのものは、諦めるということを知らないのです。
 私たちのからだを構成している細胞も、そうです。細胞は、一定の周期で死んでいきますが、またあらたな細胞が生みだされます。その細胞も死んでしまいますが、またあらたな細胞が生みだされます。やがてその力が弱まり、細胞が創りだされる個体そのものが死んでしまいますが、それでも、別の個体を創りだすことで、またその営みを繰りかえします。

 「無垢」という言葉は、ただ「純粋」「汚れがない」を意味しているだけでなく、生命に見られるような、諦めを知らないこと、を意味していると思います。ニーチェは、「生成の無垢」といいましたが、その「無垢」も、諦めを知らないことを含んでいます。
 諦めることを知らない「無垢」――それは、たとえば、幼い子どもたちだけに見いだされる力ではなく、変革や革命を志した人びとにも見いだされる力でしょう。社会が凄まじい勢いでどこかに向かっているとき、季節の変化のなかで、それに合わせつつも抗う「無垢」の力、生命という存在を、あらためて想います。

教育顧問 田中智志
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