教育コラム 2017.06

憧れや驚きがもたらすもの

 自己中心的な身勝手な若者に、他者や自然への気遣いを教えようとすると、なかなか大変です。「関係ない」「知ったことか」といわれたりします。超越者への「畏敬の念」をもちだし、教材をあれこれ工夫しても、授業を聴こうとしてくれません。
 おそらく、〈よりよく生きようとする〉ベクトルが妨げられているんだと思います。驚異を感じる心の余裕がないくらいに、追い詰められているように思います。たとえば、お金にひどく困っている、親から嫌なことを無理強いされている、人から無条件に大切にされたという記憶が乏しい、能力のなさを笑われてきた、といったことで。

 以前に、見えないものを象る営みとしての想像力が象ったものが「理念」である、と提案しました。何かに驚き、「なぜ?」「どうして??」といった問いとともに、「こうかもしれない」「いやいや、こうかもしれない」と象られる見えないものが、理念であり、このとき、人は、驚異を感じたものに魅入られています。いわば、夢中になり専心しています。
心が自己ではない何かを専らとするとき、心は自己から解き放たれ、外へと開き放たれ、他者や自然に向かい、それらを受け容れます。人の気持ちが自然とわかり、自然の豊かさが心にしみていきます。人には、そうした他者・自然と交感する力が備わっています。

 自分の窮状にとらわれていると、なかなか理念が生まれてきません。どうしても、自分の利益・快感を第一に考えてしまうからです。心が自己保全に向かい、自己の外に向かっていないからです。
 むろん、私たちは、往々にして身勝手なのですが、それを忘れ、自己を超える力も備えています。その力を解き放つことが、大切です。企業家であれ、研究者であれ、ふつうに生きている人であれ、だれしもが、そうした力、つまり〈よりよく生きようとする〉力を備えていると思います。

 だれかに憧れ、何かに驚き、あの人のようになりたい、どうしてこんなことが起こるんだろう、という想いが、一人ひとりに固有な理念を生みだしていきます。それが大いなる科学的発見や技術的発明につながることもあれば、自分のまわりの人を支え援けるほのかな灯りにとどまることもあるでしょう。私自身は、後者の理念を象りたいと思っています。

教育顧問 田中智志
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