教育コラム 2017.08

生の波動

 小学生のころ、「戦艦大和」のプラモデルを買い、作りました。近くに大きな溜池があったので、そこで走らせることにしました。ラジコンではないので、ぐるっと回って戻ってくるように、舵を調整して。
 ところが、戻ってきません。池の真ん中あたりをぐるぐる回ったままです。やがて電池がなくなり、池の真ん中で浮いたまま。なんとか岸に寄せようと、石を投げました。ドボンという音とともに波が生まれ、わずかに大和は岸に近づきます。しかし、とうとう投げた大きな石が大和に命中し‥‥。

 海の波は、ゆっくりと浮かんでいるものを岸に運びます。津波や海流のような流れと違って、その速度は、ゆっくりとしていますが、浮かんでいるものをたしかにある方向に運びます。
 私たちが生きることにも、潮の流れのような速い流れと、なかなか見えない遅い進みがあると思います。私たちは、「流行」や「技術の進歩」のように速い流れには、すぐに気づきますが、「波動」のような遅い進みには、なかなか気づかないようです。
 「人間はどこに向かっているのか」。これは、ドイツ(プロシア)の哲学者、カントが立てた問いの一つです。この「人間」は、一人の人でもなく、自分の意思をもった多くの人でもなく、何かに衝き動かされる多くの人びと、と考えてみましょう。
 そうすると、その何かがどこに向かっているのかが、この問いの本当の問いということになります。それは、「流行」や「進歩」が向かうところではなく、「人間性」(フマニタス)が向かうところではないでしょうか。

 スピノザというオランダの哲学者が、『エチカ』という本(遺稿)のなかで、「あるものが善であると、私たちが判断するから、私たちは努力し意志し衝き動かされるのではない。むしろ反対に、何かに向かい努力し意志し衝き動かされるから、私たちはそれを善と判断する」と述べています。人間性は、この「善」と同じだろうと思います。
 ちなみに、あの大和が沈んだ溜池は、水田耕作が放棄されるなか、何十年も前に埋められ、今では、瀟洒な家が立ちならぶ住宅地になっています。

教育顧問 田中智志
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