教育コラム 2017.09

アフェクトゥス

 以前、裏山の草刈りをしていたとき、長い丸い大きな石が埋まっていることに気づきました。そばには、5メートルを越える綺麗な葉をつける木が茂っていました。石は、裏山のあちこちにありましたから、気にもとめなかったのですが、少し移動させようと、掘り起こしました。
 その石は、墓石でした。百年以上前に、幼くして死んだ子どもの。家の近くの、それも日当たりのいい場所にお墓をつくった理由は、なんとなくわかります。親は、この子のすぐそばにいたかったのだと思います。そばに美しい木を植えたのも、その子を想う心からでしょう。
 死者と生者と、死が人を分かつことは、私たちの通念ですが、その通念を超えて、人は人とつながったままであると、あらためて思いました。

 その明るい場所は、墓所らしい雰囲気を少しも感じさせないところでしたが、ふつうの墓所は、また神社やほこらなども、いかにもという雰囲気を漂わせています。見ただけで、そこに足を踏み入れただけで、なんとなく非日常的なものを感じます。
 この雰囲気を感じるという感覚は、視る、聞く、触るといった五感という知覚を前提にしていますが、そのはたらきを超えています。
 その感覚は、季節を感じることにも見いだされます。たとえば、春が近づき、光や力が増していくという変化の感覚は、たんなる物理的知覚でけでなく、喜ばしい・溌剌としたいった感覚をともないます。冬が近づき、光や力が衰えていくという変化の感覚は、哀しい・寂しいといった感覚をともないます。

 私たちの感覚は、知覚を超えて、感情と一体です。この感情は、文化や伝統に大きく規定されていますが、それらを超えています。感覚的な感情は、文化や伝統の基礎です。
 外界の変化を受けとめると同時に、何らかの感情を生じさせることは、中世ヨーロッパの思想においては、あたりまえのことで、その営みは、たった一言で表現されていました。アフェクトゥス(affectus)です。
 この感覚としてのアフェクトゥスは、現代の科学が遠ざけ、忘れてきた営みですが、私たちがふだん心豊かに生きているときに、たびたび経験していることです。

教育顧問 田中智志
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