教育コラム 2017.12

ナトゥーラへの問い求め

 ふつう「ネイチャー」といえば、「自然」のことだと思います。『ネイチャー』という有名な雑誌がありますが、そこに掲載されているのも、自然科学にかんする論文や評論です。日本では、理系の大学人が、この雑誌に論文を掲載しようと、必死にがんばっています。

 しかし、「ネイチャー」(nature) は、もともと「自然」ではなく、「自然(じねん)」を意味していました。つまり、おのずから成るもの、本来的なもの、です。
 たとえば、今でも、「ヒューマン・ネイチャー」(human nature)という言葉が使われます。これは、「人間の自然」のことではなく、「人の本来性」を意味します。
 ヨーロッパでは、古くから、人は一人ひとり、固有に生きる目的をもって産まれ来て、なんとか生きて、やがて去っていく、と考えられていました。その固有な目的は、他のだれのそれとも交換されえないという意味で、かけがえのないもの、とされてきました。ラテン語で、それは「ナトゥーラ」(natura)と呼ばれていました。

 ところが、残念なことに、ほとんどの人は、自分がどんな固有な目的をもって生まれてきたのか、なかなか知ることができません。人はみんな、自分で選択できなかった境遇に産み落とされ、その境遇に深く浸潤され、また世間のさまざまな風潮に流されて、心を形づくるので、なかなか自分に固有的な目的に気づくことができないのです。
 つまり、深く、強く、豊かなナトゥーラだけが、固有本来の目的を浮かびあがらせ、そうでないナトゥーラは、そうはできない、と。

 このナトゥーラは、「才能」と理解されるべきではありません。それは、自分にまさにふさわしいとただ実感されるものです。ドイツの思想家ゲーテは、『詩と真実』において、だれでも「人生のいつでも‥‥真偽や貴賤を問うことなく、ただ自分にふさわしいものだけを問うことこそが、幸いなる定めである」と述べています(第2部第6章)。
 とすれば、なかなか見えないこの固有の目的をめざしつつ、真摯に実際に生きてきた人生経路それ自体が、固有本来の目的ではないでしょうか。固有に目的を問い求めることそれ自体が。

教育顧問 田中智志
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