教育コラム 2018.08

真実を映しだす鏡

 『グリム童話』に採録されているドイツの民話「白雪姫」(Schneewittchen)に、魔法の鏡が登場します。それは、白雪姫の継母(もともとは実母だったらしい)である王妃がもちこんだ不思議な鏡で、王妃の問いかけに対し、かならず真実を答えます。
 「世界でいちばん美しい人はだれ?」「それは、王妃、あなたです」というように。

 「鏡」は、私たちになじみのもので、だれでも、一日に何回か、見ているはずです。ラテン語にさかのぼっていえば、それは「スペクルム」(speculum)と呼ばれていました。もともと「見る」「考える」を意味する「スペクターレ」という動詞から生まれた言葉です。英語の「スペクタクル」(光景・見世物)は、このラテン語に由来する言葉です。
 その使われ方は、なかなか面白く、たとえば、紀元前1世紀ころのローマの哲学者、キケロは、子どもを「自然の鏡」(speculum naturae)と呼んでいます。キケロにとって、子どもは、世俗的なことを超越し、人の本来性としての「自然」を映しだすものでした。

 大きく時代を下りますが、19世紀に、ドイツの哲学者、ニーチェは、キケロのいう「鏡」を「自分の真実」を映しだすものと、とらえなおしました。彼の書いた『ツァラトゥストラはこう言った』という本のなかで、主人公のツァラトゥストラは、鏡をもった幼い子どもから、「この鏡で自分を見て」と言われる夢を見ます。そして、鏡を見ると、そこには「悪魔的に歪んだ嘲りの顔」が映っていて、ツァラトゥストラは愕然とします。
 その鏡に映っていた自分は、他の人から見たときの自分の姿でした。ツァラトゥストラは、ニーチェがイエスをモデルにして描いた近代版のメシア(救世主)ですが、その姿は、高い志しとは裏腹に、とても神々しいといえるものではなかったのです。

 真実を映しだす鏡は、いわば「無垢」なる子どもを暗示しています。あどけない子どもの笑顔を見ていると、自分は、どうしてこんなつまらないことにいらだっているんだろう、と想ってしまいます。もしも、子どもの笑顔を見ても、自分を振りかえることができないなら、かなりまずい状態かもしれません。真実が見えなくなっているのですから。

教育顧問 田中智志
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