教育コラム 2018.10.

真理は見えないもの?

 英語で、「わかる」はIsee.です。つまり「私は見える」です。日本でも「百聞は一見にしかず」といわれるように、「わかる」と「見える」とは、深く結びついています。
 ずいぶん前のことですが、アメリカから帰ってきたある気鋭の教育学者が、「私は見えないものをいっさい信じない」と言っていました。「真理があるというなら、見せてください」と。この人にとって、見えないものの代表は、「真理」だったようです。
 「真理」は、本当に見えないものでしょうか。

 ヨーロッパの古い言葉、ラテン語で「真理」といえば、ヴェリタス(veritas)です。このヴェリタスという言葉は、ヴェレーリ(vereri)という動詞から生まれた名詞です。ヴェレーリとは、「畏敬する」「心配する」を意味します。
 この動詞の意味をふまえていえば、ヴェリタスは、「畏敬されるべきもの」「なくてはならないもの」を意味します。
 こうして見ると、ヴェリタスは、かならずしも見えないものではなかったようです。

 「真理」がどのようにして「見えないもの」になったのか、私にはわかりませんが、ひょっとすると、それが「隠されているもの」と考えられるようになったからかもしれません。隠されていれば、見えませんから。
 思いだされるのは、ギリシア語で「真理」を意味する言葉が「アレテイア」(aletheia)だということです。このアレテイアは、動詞の「アレテノー」(aletheno)、すなわち「率直にいう」「隠さないでいう」に由来する言葉です。
 つまり、この動詞の意味を踏まえていえば、アレテイアの本来の意味は、「隠されていないもの」ということになります。
 隠されていて見えないものは、見ることのできないものではなく、その覆いみたいなもの、邪魔しているものを取り去れば、見えるはずのものです。
 さしあたり、真理とは、隠されていて見えないもの、しかも畏敬されべきるもの、と考えてみましょう。
 さて、そうすると、私たちにとって、真理とは、どんなものでしょうか。

教育顧問 田中智志
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