教育コラム 2019. 02.

自分の理念を象る力

    子どもたちに「今、できないなあ、と思っていることは何だろう」とたずねると、色々な応えが返ってきます。たとえば「さかあがり」「息継ぎ」「英会話」「ともだち‥‥」(!)などなど。どの応えも、子どもたちが今、切実にそうありたいと思っている状態を示しています。
    子どもたちがそれぞれに切実になりたい自分を心に描くとき、子どもたちの意識は、今の自分を超えて「未来の自分」を象っています。

    この未来の自分は、人気、流行、通念などに強く影響されます。サッカーが流行れば、サッカー選手の自分が象られます。医師や弁護士が尊敬されていれば、医師や弁護士の自分が象られます。学校で行われる活動の多くも、社会的現象である人気、流行、通念に傾いています。
    しかし、スポーツであれ、学校の勉強であれ、学校の活動が社会の趨勢に傾いたままだと、子どもたちの描く未来の自分は、だんだんしぼんでいきます。本当の自分は、子どもたち一人ひとりが自分で象るものであり、社会の趨勢は、社会が定めたものだからです。
    むろん、この社会のなかで生きているかぎり、人は、社会が定めたものに従わなければなりませんが、人の心のなかには、社会が定めたものを踏まえつつも、それらを超える力があります。その一つが、自分の理念を象る力です。「未来の自分」が、この自分の理念と重なるとき、人は、〈在るべくして在る〉ように生きられるのだと思います。ちなみに、哲学者のハイデガーが、「ゲラッセンハイト」(Gelassenheit)と呼んだ状態は、この〈在るべくして在る〉状態だろうと思います。

    ともあれ、この自分の理念を象る力は、多くの場合、他の人の言動をつうじて始まります。それは、たまたま読んだ本の著者かもしれもせんし、毎日顔を合わせる学校の先生かもしれません。
    そうした人は、子どもたちにとってかけがえのない(代替不可能な)存在となりますが、それと同じくらい大事なことは、だれかをかけがえがないと思っている子どもたちは、そう思うことでかけがえがない存在だということです。
    子どもは、ある人の言動・思想を自分なりに解釈し、そこに驚異(すごさ)を見いだすかぎりにおいて、かけがえのない存在となります。

教育顧問 田中智志
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