「マンガ」という日本語は、今では、ヨーロッパでもアメリカでも通じる言葉です。このマンガを動画にしたものが「アニメ」です。「アニメーション」(animation)を略した言葉です。
このアニメーションは、「生き生きとさせる、いのちを吹き込む」という意味です。たしかに、マンガのように動かない絵よりも、アニメのように動いている映像のほうが生き生きしているように感じられます。
にもかかわらず、私たちは、動かない絵から構成されているマンガからも、生き生きした動きを感じとっています。どうしてでしょうか。
フランスの哲学者で、ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy)という人がいます。1940年生まれで、今、80歳くらいです。長くストラスブール大学の教授を勤めていました。ナンシーは、40代のころに心臓移植手術を受け、長いあいだ、闘病生活を送りました。
そのナンシーが健康を取り戻し、62歳のときに出版した本が『さまざまな像の奥底で』と題された本です。「像」の原語は「イマージュ(イメージ)」ですが、このイマージュは、いわゆる「肖像」や「模像」ではなく、心に象られる像です。
ナンシーは、フランス語で「像のように大人しい」(Sage comme une image)というけれども、心のなかの像=イマージュは、そもそも生き生きとしている、と言っています。イマージュが大人しくしているとすれば、それは、力を貯めているからだ、と。
ナンシーは、心のなかのイマージュに、アニマ(いのち)のような生き生きとした力を見いだしています。その力は、ふだんは大人しくしていますが、具体的な絵や情景を見ることで、活動的になります。
ナンシーのように考えれば、私たちがマンガを読んで、生き生きとした力を感じるのは、心のイマージュが活動的になるから、と言うことができます。同じことは、本を読んで、私たちが生き生きとした情景を思い浮かべることについても、言えるでしょう。
心のイマージュが生き生きすることは、そのまま、私たちが生き生きとすることです。