教育コラム 2020. 05.

力動としての経験

    「経験」という言葉は、「経験者優遇」、「経験が豊富な」と言われるように、何かの知見を充分にもっている、という意味で使われています。また、それは、「経験を活かす」、「経験を積む」と言われるように、実際に行ったこと、という意味でも使われています。
    こうした「経験」は、基本的に個人の具体的な活動、と見なされています。たとえば、パリのルーブル美術館に行き、はじめてなまの「モナ・リザ」を見た、という経験や、パティシエとして、10年間、さまざまなケーキを作り続けた、という経験です。

    こうした経験は、英語にすると、experienceですが、このexperienceは、たんなる個人の知見、営みにとどまらない意味をもっています。たとえば、アメリカの哲学者ジョン・デューイのいうexperienceがそうです。この〈経験〉は、デューイ自身が「つねに動態的な力動である」と述べているように、方向性をもっている力、つまりベクトルです。
    私たちの活動は、ただ時流や世相に流されて、漫然と行っていることでもあれば、意を決して何かを試みることでもあります。デューイのいう〈経験〉は、後者の、意を決して何か大切なことを試みることです。この〈経験〉のベクトルを、デューイは「連続性」(continuity)と呼んでいます。ある経験は、次の経験とつながり、また次の‥‥‥、ということです。

    この〈経験〉の連続性は、一人ひとりにおいて、固有特異な目的に向かっています。いいかえれば、この連続性は、他の人のそれと取り替えられるものではないのです。自分の自分だけの目的は、はじめからわかっているものではなく、試行錯誤のなかで、あるいは、思いがけない事故や出会いによって、しだいに見えてくるものです。
    たとえば、何かをしているとき、何か心に熱いものを感じるとき、だれかのしていることに、どうしようもなく強く惹きつけられるとき、その目的が垣間見えてきます。そんな熱いものを、ヨーロッパ中世の人は、「アニマ」と呼んだり、「アニムス」と呼んだりしました。それは、どちらも、人を生き生きとさせるものです。
    自分を生き生きとさせるものが、仕事になることもあれば、趣味になることもあるでしょう。どちらにしても、それは、さまざまなイマージュ、アイデアが湧き出てくる活動だと思います。

教育顧問    田中智志
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