教育コラム 2020. 07.

囚われからの自由

    今から八〇〇年くらい前に、マイスター・エックハルト(Meister Eckhart)と呼ばれる人がいました。一二六〇年ころに、ドイツのエルフルトあたりで生まれました。若くして、修道会に入り、パリ大学でも学びました。のちに、パリ大学の神学の教授になり、また修道院の院長にもなりました。亡くなったのは、一三二九年ころといわれています。
    現在、エックハルトが書いたもの、説いたことは、全一二巻の『著作集』にまとめられています。ドイツ語とラテン語で書かれています。その全集は、一冊一冊が大きく重くて、とても片手では持てません。ついでにいえば、値段もとても高いです。

    そのエックハルトの思想は、日本の禅の思想と通じるところがある、といわれています。日本では、上田閑照が、エックハルトの思想と禅の思想のつながりを詳しく論じています。たとえば、『非神秘主義――禅とエックハルト』という本で、上田は、禅とは「自由」であるといい、エックハルトの説く「離脱」も「自由」であるといいます。
    この「自由」は、ふだん私たちが考えている「自由」、つまりやりたいことができるという意味の「自由」ではありません。それは、何にも囚われない心の状態を指しています。勉強しなければ、会社に行かなければ、新しいスマホがほしい、だれかに文句を言いたい、‥‥‥などなど、私たちは、いろいろなことに囚われて生きています。そうした囚われから解放されていることが、禅とエックハルトに通底する「自由」です。

    学校や社会でよく子どもたちに向かっていわれる「夢を持って生きよう!」「夢を実現させよう!」という生き方も、エックハルトから見れば、人を「自由」から遠ざけるものです。○○大学に入りたい、○○大会で優勝したい、将来○○になりたい、といった「夢」は、たしかに大切ですが、そうした執着心が、もっとも大切なものを隠してしまうこともあります。
    自由にできることと囚われからの自由――どちらも同じくらい大切ですが、囚われからの自由は、現実の状態というよりも、心の状態というべきでしょう。ちなみに、エックハルトは、神学者がもっとも大切であると考えている「神」を捨てよ、と説きました。あなたが心に描く「神」は、あなたの「神」であって、本当の「神」ではない、と。

教育顧問    田中智志
Copyright(c) YAMANASHI GAKUIN ELEMENTARY SCHOOL. All rights reserved.