教育コラム 2021. 02.

欺きと誤り

    数年前に書いた自分の文章を読んでいると、いろいろと誤りに気づきます。それは、昔の哲学者や思想家の書いた文章を、自分なりに理解して「きっとこういう意味だ」と思って書いたものですが、あらためて読んで見ると、間違っていることに気づきます。
    思うに、哲学・思想についての研究は、この繰りかえしです。だれかの哲学・思想を研究することは、その思想が大切なことを表現している、と思うからですが、この大切なことは、たいていの場合、なかなか言葉にならないのです。無理に言葉にすると、とても陳腐なものになってしまいます。たとえば、「愛」とか、「真摯」とか、です。

    ともあれ、哲学・思想の解釈は、つねに危うい試みです。その試みのなかには、ときに、まちがいないとはいえないけれども、ひどくあやまっているともいえないものがあります。そうした試みに対し、人がとる態度は、「正確じゃないから、ダメ」とか、「おもしろいから、いい」とか、人それぞれでしょうが、一つ、知っておいたほうがいいことがあります。
    それは、「人は、それと知りつつ欺くが、それと知らずに誤る」ということです。これは、アウグスティヌスの『キリスト教の教え』のなかに出てくる言葉です(1. 36. 40)。アウグスティヌスは、人を欺こうとする人はたくさんいるが、間違えようとする人はひとりもいない、といっています。
    端的にいえば、欺きは意図的ですが、誤りは無意図的です。いいかえれば、欺きは、「私」の作為ですが、誤りは、「私」の行為に対する評価です。

    欺きも、誤りも、「正しくない」という意味では、同じですが、同じ正しくないことでも、欺きよりも、誤りのほうが、はるかによいことです。欺きは不正ですが、誤りは不正ではありません。その違いは、たとえていえば、カンニングと誤った解答の違いです。
    人生も、たぶん哲学・思想の研究と似ていて、大切なことを追い求める道程である、と思います。その道は、じつに多様であり、さまざまな誤りに満ちていますが、人は、ふりかえることで、その誤りから、大切なことは何かを、学んでいきます。
    もちろん、間違わないように、先まわりし、あれこれ準備することも大切ですが。

教育顧問    田中智志
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