山梨学院小学校 卒業式 学校長式辞(2015年3月21日)

「争い:Dragon Nightに学ぶ」

 卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。保護者の皆様、本日は、お子様のご卒業まことにおめでとうございます。

 いまから、旅立つ6期生のみなさんに、校長として最後の授業をしたいと思います。テーマは「争い」です。

 まずは、この曲を聞いてください。


人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方のないのかもしれない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ


ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリスカイ、ファイアバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ


(作詞:Fukase 作曲:Fukase「Dragon Night」SEKAI NO OWARI『Tree』2015年より)


 この曲は誰のなんていう曲? 後ろに座っている、お父さんはポカーンとしていますが、これは、みなさんがよく知っている、SEKAI NO OWARIというグループの「Dragon Night」という曲です。校長先生も実は、「Dragon Night」を知りませんでしたが、昨年の大みそかの紅白歌合戦で聞いて好きになりました。

 校長先生がとっても好きなフレーズは、いま聞いてもらった1番のBメロのところです。

 「人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのはしかたないのかもしれない。だけど、僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ」

 みなさんは、これから生きていく中で、かならず、分かり合えない人、どうしても許せない人に出合います。もしかすると、殺してやりたいと思うような人に出会うことがあるかもしれません。その時、この「Dragon Night」を思い出してほしいのです。

 争いとは、正義と正義のぶつかり合いです。お互いに自分こそが正しいと思っている。譲れないと思っている。校長先生も君たちの頃、いや中学校や高校くらいまで、いつもいろんな人とぶつかっていました。友達や親や、時には先生とも衝突したことがあります。「僕の方が正しい、あいつの方が悪い」「偉そうなことばかりいって、おまえこそできてないじゃないか」「なんで、あんな言い方するんだ。むかつく!」。

 でも、校長先生は、高校のとき、親友から言われた一言で、ふと気が付きました。校長先生がとある友達と大喧嘩をしたとき、その親友はもちろん校長先生の味方をしてくれました。でも、ケンカのあとこういったんです。「お前がケンカした相手は、お前が思っているほど悪い奴じゃないよ」と。ハンマーでガーンと殴られたような気持でした。それまでは、「いつも自分が正しい、自分こそが正義だ」と主語を「自分」にして考えてきた。「相手はどう思っているのか、相手はなんでそんな発言をしたのか」と、「相手」を主語で考えたことなどなかったなと気づいたのです。

 ここで校長先生は、たとえ許せない相手でも友達になれというつもりはありません。まったく賛成できない相手の正義に賛成しろともいいません。そんなことは、今の校長先生にだって難しい。どうしても分かり合えない人もいる。でも、どうしても分かり合えない人がいるこの社会の中で、どうやってあなたたちが生きていくべきか。それを「Dragon Night」の歌詞は伝えています。

 「ドラゴンナイト」の歌詞の素晴らしさは、まずは、自分の立場の正しさをいったん置いて、相手の立場を考えてみようとしているところです。その結果、どうなったか。「彼の正義の理由がわかった。彼の正義の理由に賛成する」とはいっていません。「だけど、僕の嫌いな彼も、<彼なり>の理由があるがあると思うんだ」と歌っています。許せない大嫌いな彼の理由には賛同できなくても、<彼なり>の考えがあることを認めようとしています。

 さらに、「だけど、僕の嫌いな彼<も>」と言っている。つまり「自分自身の正義も、また自分なりの理由だったんだ」ということに気が付いている。相手の立場を考える行為が、すなわち自分の立場も再度考えてみることに繋がっているということが分かります

 また、サビの部分がとても深い。「今宵、僕たちは友達のように歌うんだ」「今宵、僕たちは友達のように踊るんだ」といっています。「友達になって歌うのでも」「友達として踊るのでもない」。それは、許せない相手と友達にはなれない、好きにはなれないけれど、でも、争いを止めて、「友達のように」振る舞うことができるということを歌っている。

 どうしたらこんなことができるのか。友達との単なるケンカなら容易かもしれません。でも人生の中で出会うどうしても許せない嫌いな相手、その人の立場を考えるのは、とても難しいことです。ましてや、その大嫌いな相手と「友達のように歌う」ことなんて、さらに難しい。

 まず、みなさんは、許せない大嫌いな相手と衝突して頭に血が上っているときは、大きく深呼吸してみてください。なによりも「許せない」「大嫌い」という感情の高ぶりを沈めることが大切です。その感情の高ぶりのままに争ってはいけません。それは弱い人間のすることです。その相手と距離を置くのもいい方法です。読書や映画やスポーツなど、まったく他のことに時間を費やすのもいいでしょう。時間がかかっても、感情の高ぶりを抑えることができたら、半分成功です。

 ここからです。今度は感情でなく、頭を使います。みなさんのすべてがもっている優れた「想像力」をその相手に対して使うようにしてください。「相手はなんで私を攻撃してくるのか」「相手はどういう立場にいるのか」。相手の理由に賛成できなくてもいいんです。「相手なりの理由」を考えてみてください。すると、同時に、自分自身がこだわっていた理由も、違った面から再認識できるようになります。その結果、自分がこだわってきた理由は、自分なりの理由であったと感じてくるようになります。そして、互いを傷つけあう「争い」よりも、「友達のように」振る舞うことの方が賢明であることに気づいていくでしょう。

 ドイツの詩人のゲーテはこういっています。 「嫌いな人とつきあってこそ、人とうまくやって行くために自制する心が、私に生まれる。嫌いな人とつきあってこそ、私の心の中にあるいろいろな側面が刺激されて、私が完成されていく」と。

 大好きな友達といるときには、みなさんはさほど成長しません。人生で出会う大嫌いな相手、どうしても許せない相手に出合ったときこそ、みなさんが大きく成長するチャンスです。そこで、感情の高ぶりを抑え、冷静に頭を使って「相手の立場」を想像してみることができたならば、あなたは強い人間です。校長先生は、自分の正義ばかりを主張し、争いやイザコザを繰り返す弱い人間よりも、争いの場面であっても、頭を使って「彼なりの理由」を考えようする強い人間になってほしいと願っています。

 「Dragon Night」を聞くたびに、今日の話を思い出してもらえるとうれしいです。

 以上で、最後の授業を終わりにして、校長のお祝いの言葉といたします。

<参考文献>
ゲーテ(高橋健二訳)『ゲーテ格言集』1952年、新潮文庫
SEKAI NO OWARI『Tree』(CD)2015年

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